結婚式の主役は義父!結婚したら仕事も住む場所も主導権なしの付属品人生。自由を目指す私のプロフィール

初めまして!

今日からブログを始めます。

まずは自己紹介。

気合いを入れて書いたので分量多めです^^; 

 

 

簡単な自己紹介

⚫︎名前:なっちゃん

⚫︎ 誕生日:5月15日

⚫︎某大手旅行会社(東京)で社会人デビューし、激務の末2年で退職。

●低賃金での長時間労働にやつれ、手に職を!と思い立つも資金不足のため名古屋で外資系金融業に再就職。

●働きながら(資金をためて)ネイルスクールへ通いネイリスト検定1級他、ネイルに関する全ての資格を取得。 

⚫︎2013年5月結婚、2016年6月第一子出産

⚫︎現在旦那の地元北陸で子育て奮闘中

⚫︎引っ越しに伴い仕事は退職 
⚫︎家族は夫、我が家のアイドル1歳1ヶ月息子、私の3人家族(2017年8月現在)

 

自分主体の人生から、夫の付属品に

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 2012年、大学生の頃から交際していた彼(現夫)にプロポーズをされ、私の人生の歯車はこれまでとは違う方向へ回り出した。 

 

彼は田舎の長男。

 

 私も田舎育ちで兄がいるけれど自分の兄弟に対して〝長男〟と言う言葉を意識したことは全くなかった。

 

彼は長男として家の仕事を継ぎ、家を継ぐというミッションを与えられており、そのミッションは必ず達成しなければならないという意識が強かった。

 

 とはいえ出会ったのは学生の頃で、交際しているときはそんなミッションを与えられていることを私は知らなかった。

一緒にいて楽しい、気が楽、純粋に好きで結婚した。


 プロポーズをされてから、両家両親への挨拶を  済ませ、結納、結納返し、仏壇参りと嫁ぎ先の風習に習って見事なまでにフルコースの段取り&結婚式だった。 

 

親に意見を言う隙もなく事が進んでいった。

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全ては〝長男として家を継ぐための行事〟として物事が進み、気持ちがついていかないことはたくさんあった。

 

気づけば彼の長男としてのミッションは妻となる私のミッションにもなっていた。


当時2人とも名古屋で仕事をしていたけれど、結婚式は代替わりのお披露目のため、会場は北陸となった。

 

代替わりのお披露目となると、招待客は義父の関係者ばかり。

 

加えて義理両親がゲストである私の上司に退職の挨拶。(まだ辞めると決まっていないのに…)

 

私はこの式のコマなのかと愕然とした。

 

私にとって結婚式は、自分の好きな場所で(名古屋で)、 これまで自分の人生に関わってくれた恩師や上司、そして友だちに囲まれて、 これからの人生を祝福される自分主体のものを夢見ていたけれど、それは夢で終わった。

 

招待客の比率7:3の披露宴。主役は義父だった。

 

やはり、気づけば彼のミッションは私のミッションにもなっていた。

 

この結婚式から私の人生は、私主体ではなく妻としていわば夫の〝付属品〟と思えるようになった。

 

〝付属品〟脱却!のためにネイルスクールへ

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結婚式を終え名古屋に戻り新婚生活をスタート。共働き。

 

社会人1年目の仕事が激務だったこともあり、転職した外資系金融業の仕事は驚くほどラクに思えて楽しむ余裕があった。

 

実際は細かい確認も多くミスが許されない仕事だけど、前職よりは精神的にはるかに楽だった。

 

周りに認めてもらえて、楽しくやりがいのある仕事、前職では味わえなかった感覚、毎日充実していたけれど、私は将来この仕事を辞めなければいけない。

 

ここで積み上げたことは、新しい土地で役に立つのかと何か虚しい気持ちになった。

 

転職活動の地道さ、新しい仕事を1から覚える労力を考えると、結婚によってそれを当たり前のように手放さなければならないことを虚しく思った。

やはり私は夫の〝付属品だ〟と肩を落とした。

 

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地元を離れ、友だちも仕事も一旦リセットして新しい土地で生きて行くことを想像してみた。 

そこにネイル技術があれば収入にもなって、自分の居場所づくり人脈づくりにもなるかもしれない。 

仕事をリセットすることをプラスにとらえ、このタイミングで、本当に好きなことを仕事にしてみたい!と思うようになった。


手に職があれば住む場所が変わってもやりがいと共に生きていけるかもしれない。

 

 頭の中でぐるぐるぐるぐる色んなことを考えた。

 

 そして、 ネイル業界ではとても有名なネイリストネイルスクール名古屋本校へ入学。

 

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(↑課題の赤ネイル、写真は初めてのコンテスト出場時のもの)


ネイリスト検定1級の合格率は3割。

 

私が絶大な信頼を置いている姉にもネイリストの道を応援され、授業料や教材費100万近くを振り込んだ。


スクール通ってみたいな〜と転職後に貯めていたお金130万のうち、100万がぽんと手元から消えた。

 

姉は金銭的にも支援すると応援してくれたが、覚悟として自分で支払った。 

 

やりたいな〜じゃなくて、やる!に変わった瞬間だった。

 

やるんだ!と決めた私は全ての試験を一発合格。

  

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 (↑2014年12月ネイリスト検定1級の合格通知を受け取った)

 

選んだスクールも良かった。 

1年半という最短で取得した資格は以下の通り。 

 

☆ネイリスト技能検定試験 1級
☆JNAジェルネイル技能検定試験 上級

☆ネイルサロン衛生管理士
☆ネイルサロン技術管理者

 

技術を磨くべく、友達や先輩、夫をハンドモデルに誘い、コンテストにも積極的に参加し、場数を踏んだ。 海外コンテストにも臆することなく作品を送った。

 

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 (↑すべてネイル素材で作ったネイルアートの一部。マレーシアのアートコンテストに応募)

  

ネイル漬けの1年半は充実していた。

 

ただ、技術職にとって資格はあくまでも資格。

 

ここからサロンワークという実践の難しさや、自分で稼ぐことの大変さにビビりながらも、

 〝付属品〟じゃない自分の人生を自分で作っている感覚にやはりワクワクしていた。

 

 

 ネイルというやりたいことを突き進む楽しさと女の人生

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無事に1級を取得した私は、サロンワークの技術を磨くべく外資系金融業の仕事を退職し、自宅サロンを開始する。

 

(↓2月に施術したバレンタインネイル、季節に合わせてネイルを楽しむのは日本人ならではの感覚。)

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と、書くとさっぱりしているのだけど、この日本社会で正社員の仕事を辞めることは勇気のいることで、仕事のやりがいにも満足していたので迷った。

 

でも、いずれ辞めなくてはいけないことに加え、検定に必要な技術とサロンでお客様に提供する技術は別物ということが学べば学ぶほどわかり、ネイルで稼いでいくことにまだ自信がなかった。

 

 検定取得は、本当に基礎中の基礎を学んだにすぎなかった。

 

 そして名古屋にいるうちに技術を磨きたいという思いがあった。

 

 そんな思いもあって 正社員の仕事は辞め、やりたいことに突き進んだ。

 

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 (↑職場の先輩のウェディングネイルを担当)

 

ネイルスクール仲間や友達、知り合いがいる環境は大きい。

 

あれこれと試行錯誤しながらサロンワークとしてお客様に提供する技術を磨く毎日。

 

アートセミナーやイベントに足を運び新しい技術の勉強をすることも楽しかった。

 

ネイリストとしての成長スピードを上げるべく、アルバイトとしてサロンにも就職してみた。

 

自分の人生の舵取りをまさに自分でしている実感があった。

 

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 (↑大学時代の友人のブライダルネイル、任せてもらえることが嬉しかった)

 

でも、女の人生、年齢的なこともあり、好きなことばかりもしていられない…

 

子どもを産まなければ…

 

結婚してから「こどもはまだ?」と何度も聞かれた。

 

付属品脱却のことばかり考えていた私だけど、出産にはタイムリミットがあることも頭の片隅には常にあった。

 

 こどもは授かりものだから、と期待しすぎてはいなかったけれど、ありがたいことに真剣に考え出してからすぐに第一子を授かった。

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サロンワークを続けながらも妊娠生活の10ヶ月を無事に過ごす。

 

 苦しくも幸せな妊娠生活だったけれど、ネイリストとして生きる道を邁進中の私にとって、結婚、妊娠、出産と女の人生はなんと忙しく、都合よくいくものじゃないんだろうと思っていた。

 

 第一子出産!同時に義母が寝たきりとなる

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両家にとっての初孫が生まれる。 

 

男の子と分かった時から胎児ネームはぴお(美男)ちゃん。

 

イケメンになぁれと願い、ぴお(美男)ちゃん。
(注意:あくまでも胎児ネームです) 

 

2464gの小さなぴおちゃんを数時間かけて出産。 

 

この上ない幸せを噛みしめる。

 

この子のためなら何でもできる!と思えるほど惹きつけられた。 

 

頭の中は子どもの可愛さでお花畑状態になった。 

 

しかし、幸せなことばかりではないのが人生。

 

息子が生まれる2ヶ月前、義母が緊急手術。

 

結果、意思疎通もできない要介護状態に。

 

 

親の仕事を継ぎ、ついに名古屋からお引越し

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 義母が倒れたことで急遽夫が家の仕事を継ぐことに。

 

 〝いずれいずれ〟と言われていたその時が思わぬ形で早まった。 

 

このまま名古屋にいたい気持ちと戻らなければという気持ちに2人で揺れる。

 

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仕事を継ぐために必要な資格があり、勉強嫌いな夫に変わって私が2週間で合格を決めてくる。

 

その後夫のケツを全力で叩き、夫本人も無事に合格。

 

 引っ越しが決定。

 

 2017年2月のこと。

 

 この時息子生後8ヶ月。

 

 

 寝たきりとなった義母の姿から自分の人生を真剣に考え始める

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 義母の病気はストレスが原因とのこと。


「長男の嫁」という立場でついてくる色んな仕事をどんなに歯を食いしばって頑張っていたんだろう。


周りから期待されてることを一生懸命やった結果が今寝たきりという現実が私は受け入れ難かった。 

 

しかも初孫が生まれるという幸せのタイミングで…。 

 

もっと自分の人生を生きたい!と強く強く思うきっかけとなった。

 

義母は自営業として仕事を持っていた。

 

その仕事は長男の嫁が継ぐということが理想のようで、私もその役割を期待されていたし、それに応えなければいけないと思っていた。

 

正直私にとっては全く興味のある仕事ではなかったけれど、ネイルを複業して自分の世界も持つことで乗り越えようと考えていた。

 

でも、人生モデルとして目の前を走っていたはずの義母が倒れた今、私は自分の本当の心の声(価値観)と向き合い、新しい生き方を探すようになった。

 

好きなことに全力で向き合いたい。そんな思いがどんどん強くなっていった。

 

慣れない土地での子育て生活、精神的に壊れそうになり、改めて義母の人生が自分と重なる2017.3

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 北陸に引っ越して最初の2週間は引っ越し荷物に囲まれて生後8ヶ月の乳飲み子と私の2人生活だった。

 

仕事を継いで早々たくさんのおつきあいに忙しい夫。

 

3人での生活が始まってからも、夫の帰りは遅く家にいないことも多い。

 

慣れない土地で0歳児を抱えながら引っ越しの荷物を解く日々。


生活もまだ落ち着かない中、0歳児がいても付属品としての行事は容赦なく、萎えまくる日々だった。

 

子育てにも専念できず、夫をはげますこともできず、ただただ焦る日々。

 
日中自然と涙が流れるプチ鬱状態。


ぶつけようのない気持ちをどうして良いかわからずひたすら泣いた。


話す人、話したい人がいない環境は、思っていた以上に精神的にきつかった。

 

このとき義母は病院で寝たきり生活。


家族が病気になろうが寝たきりになろうが周りは何1つ変わらぬ生活をしている姿に、結局は自分の人生自己責任なんだと痛感する。

 

生活に慣れることを最優先にしたい自分の気持ちをある程度押し殺して、周りに期待されること、すべきとされることを当たり前に要求される環境に、義母の人生が重なった。

 

やはり私は自分の人生を生きたい。

 

そう強く思うも、この時はまだ生活に慣れること、初めての子育てに必死な毎日だった。

 

長男という見えない鎖につながれた夫に息子の将来を重ねる 

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 慣れない生活に必死なのは私だけでなく夫もだった。

 

田舎の特長なのか最初だけか、お酒を呑む機会が格段に増え顔色が土色に変わる。

 

同業者の上下関係や濃いお付き合い、いきなり継いだ慣れない仕事にストレスマックス。

 

仕事だけでなく田植えや長男としての役割を一身に期待され、土日も一切休むことなく駆け抜けてきた3ヶ月、発言がどんどんネガティブに。

 

もともと精神的にあまり強くない夫だけれど、名古屋にいる時とは少し違って顔色がおかしかった。

 

そんな時、〝死ぬくらいなら会社辞めれば?ができない理由〟という本を読み、これは!と思った私は夫に勧めるも、読む気力すらなし。

 

とにかく色んなことに余裕がなく、仕事以外は何もできない、平日はひたすらボロボロになるまで働き、週末は長男としてのあれこれを期待される日々。

 

今はとにかく話しを聞くこと、美味しいご飯を作ることで夫を支えるしかない。

 

どうしてこの仕事を選んだのか、

 

どうしてこの場所で生きていくと決めたのか、

 

どうして苦しくてもその場所で頑張らなければならないのか、

 

全ての答えが『長男だから』になってしまう彼の人生。

 

現状に満足していないくせに、本当は何をしていたかった?どんな人生にしたかった?と聞いても答えられない。

 

考える機会がないほどの親の価値観を背負っていたからだ。

 

土地柄もあるかもしれない。引っ越して来てから会話の中で長男と出ると皆当たり前のように家を継ぐこと、親の面倒を見ることを言い出す。

 

長男という見えない鎖に繋がれて苦しむその姿や当たり前に期待される環境に、『自分』を、捨ててきた結果、自分の頭で考えて決めるということができない。

 

この長男神話がひたすら続くことに息子の将来が不安になった。

 
何年か先、家族で笑っていられるだろうか、死んだような目をした夫もこのまま放ってはおけない。


好きな人と好きなことだけして幸せに暮らしたい。

 

結果それが息子の明るい将来にも繋がる。

 

また強い思いがこみあげてきた。

 

決めてから考える!ブログを立ち上げる

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実際、親の敷いたレールを歩く道しか見てこなかった私たちは他の選択肢を知らなかった。


そして、夫についていくことが当たり前とされていた私は会社を退職している。

 
夫の収入一本で生きている現実。

 
人生を変えたくても現実問題、選択肢を持っていないことに気がつく。

 
私も働いて収入を得れば夫の精神的負担は減るかもしれない。

 

でも同じように期待された通りあくせく働くのでは夫と傷を舐め合うだけで意味がない。

 
自分の価値観とあった働き方で、イキイキとしていたい。そんな道もあるのだと示したい。


好きなことをして楽しく生きるってそんなに難しいものなのかな?

 

少なくとも挑戦する権利はあるはずだ。

 

どこかで失敗する自由という言葉を聞いたことがある。

 

私も完全にネイルで食べていたわけではないので自信はなかったけれど、このままではいけないという強い思いがあった。

 

とにかく今動きたい!変えたい!という思いからこのブログを立ち上げた。

 

決められたことをひたすら我慢して生きていくのではなく、自分の頭で考え行動し、自分から発信していくことで少しずつでも人生を変えて生きたいという思いを込めて。

 

これからの奮闘を綴る

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私は楽しみながらがむしゃらに人生を変えて生きたい。

 

好きなことで楽しく生きるという背中を子供にも見せたい。

 

息子も長男として夫と同じように求められることに苦しんで欲しくない。

 

長男として家を継ぐことは立派な決断だと思う。

 

でも身体を壊しては意味がない。 

 

本音で生きて欲しい。 

 

平均寿命が右肩上がりに伸びている今、生き方働き方が多様化してもおかしくないのだから。


これからの人生、長寿という恩恵を最大化するためにも、親世代と同じように生きていく人生モデルは通用しなくなってくるのかもしれない。

 

自分の価値観とあった生活で楽しく生きていきたい。

 

個人力をあげて自分の頭で考えて人生を謳歌したい。

 

楽しみながら経済力を手に入れたい。

 

そうすれば、夫がどうしても辛い時助けることだってできるのだから。

 

そんな私の奮闘をブログに綴る。

 

このブログを始めた今日この日から、夫の付属品なんかじゃない、私の本当の人生が動き出す。

 

個人力をあげて自分で人生の選択肢を掴み取っていく。

 

そんなママの姿をみせることで未来ある子供に、たくましく、強く、楽しく生きていく人生を示したい。

 

このブログに綴る私の奮闘が幸せの連鎖を生むことを願って。